クイズ

少し前に人から教えてもらったクイズなのですが、飲んでいたときだったので、僕の頭が全然回っていなかったのか、それともその人が条件等を間違えていたのか、なんだか全然解けず。しかし先日たまたまネットで目にしてみれば、なぁんだ、という感じでした。

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死刑囚四人がこの絵のような状況で立っているとき、予め知らされていない自分の帽子の色を言い当てられるのは誰か?というクイズです。

ルールを要約すると、

  1. 帽子の数は赤2、白2。四人はそのことと、四人の位置関係を把握済。
  2. 自分よりも前に居る人間の帽子の色だけ見ることができる。当然AとDは誰の帽子の色も見えない。
  3. 振り返るなど、少しでも動いたら即射殺。勿論「お前、赤だよ」とか教えたり、余計なこと喋っても即射殺。
  4. 誰か一人が自分の帽子の色を言い当てたら全員釈放。間違えたら全員射殺。

以上です。勿論、四人の間で事前相談などの時間はありません。どうでしょうか。ちょっと考えてみて下さい。

 

 
 
 
 

 

解答編

さて、解答編。

自分の帽子の色を答えられるのは、Bです。

まず、最も情報量が多いのはCです。それは全員把握していることでしょう。しかし、この絵の状況のとき、Cは口火を切ることができません。当然です。目の前の二人の帽子の色がそれぞれ異なるので、自分の帽子の色は依然、赤か白か1/2ずつの可能性があるからです。

しかし、そのこと、つまりCが黙っている、ということが一つの情報となります。つまり「AとBの帽子の色は異なる」ということを、Cは黙することによって、他の三人に伝えていることになります。よって、Cの次に情報を持っているBが、Cの沈黙に基づいて、目の前のAと違う色を自分の色として答えることができる、というわけです。

ちょっと改変

さて、これだとちょっと簡単なので、少しだけ複雑にしてみます。

  • Aのみ振り返ることを許される(Dもそれは承知済)。
  • 先着一名のみ、自分の帽子の色を「宣言」することができる。その「宣言」は全員が聞くことができるが、誰が発したのかは分からず、真偽判定も行われない。
  • その後、四人全員が同時に自分の帽子の色を回答する。全員が正解すれば全員釈放。一人でも不正解だと全員射殺。

以上です。果たして四人は正解することができるでしょうか。四人それぞれの気持ちになって、それぞれの思考経路を考えてみて下さい。

 

 
 
 
 

 

解答編2

では解答です。

勿論、四人は正解することができます。実は今回に関しては、異なる色配置、つまりAとBが同色であったり、BとCが同色であったり、という配置の可能性も考える必要があります。最終的に全員が正解しなければならないからです。

では、実際に四人の気持ちになってみましょう。

Aの場合

まず、当初の絵のような色配置であれば「白!」という「宣言」を聞くことになります。ルール上「宣言」の出処は明らかにされませんが、Dが「宣言」をすることは合理的にはあり得ませんし、Aには、Bが白で、Cが赤なのが見えていますから、Bによる「宣言」であると考えられます。とすれば、Bが「宣言」したということは、Cは「宣言」できなかったことを意味し、それはBとAの色が異なることを意味します。それによりAは「宣言」と異なる色、つまり「赤」を回答することができます。

次に、BとCが同色であれば、迷うことなく彼は「宣言」をすることができますし、むしろ速やかに「宣言」をしなければなりません。前段のゲームにおけるBのように『「宣言」をしないこと』を情報として受け取られる可能性があるためです。そして、その「宣言」後は問題なく全員が正解可能です(後述)。

さらに、AとBが同色の場合、Aの目からはBとCが異なる色のため、「宣言」はできません。しかし、即座にCから「宣言」が出されることになります。これも例によって、Cによる「宣言」であると推察できます。Cによって「宣言」が出されること即ち、AとBが同色であるということですから、目の前のBの色を回答すれば正解です。

まとめると、Aの戦略としては、目の前の二人が同色なら自分がすぐに「宣言」、そうでないならBかCによって出された「宣言」の逆の色を回答すれば正解、となります。

Bの場合

当初の絵のような色配置であれば、前段のゲームのようにCは、またAも、沈黙し、「宣言」は出されません。そうなればまた同様に、Bは目の前のCと異なる色、白を「宣言」することになります。

また、BとC、或いはAとBが同色である場合、前者のケースならAから、後者ならCから「宣言」が出されます。いずれにせよこの「宣言」は、Bともう一人が同色であることを見て、それと異なる色を「宣言」したもののため、Bとしては逆に「宣言」と異なる色を回答することで正解可能です。

Cの場合

CはAとほぼシンメトリーの状況にありますので割愛します。AとBが同色ならば「宣言」し、「宣言」が他から出されればその逆の色を回答すれば正解です。

Dの場合

視覚的情報を全く持たない彼が当然一番難しいように思えますが、実は場合分けをすれば確実に正解することが可能です。彼の場合は当然ながら「宣言」から判断することになります。

まずAやCが「宣言」をしたとすれば、BとC、或いはAとBが同色であり、それを見たA或いはCが、目の前の二人と異なる色を「宣言」したことになります。そのためDは「宣言」されたのと同色を回答すれば正解です。

では「宣言」がBによるものであったとすれば、逆にAやCは「宣言」ができなかったことを意味し、AとB、或いはBとCが同色という可能性は排除されます。即ちAとCが同色、BとDが同色であることが判明します。よってDはやはり「宣言」されたのと同色を回答することになります。

つまり、Dはただ単に「宣言」されたのと同色を回答すれば正解できてしまうというわけです。

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いかがでしたでしょうか。難易度はやはり元の問題から上がっていますね。元の問題においては、他者の視点を想像しなければならないのは、基本的にはBだけでしたが、この改変後の問題においては四人全員がB並み、或いはそれ以上の想像力を働かせねばなりません。全員が合理的判断を行うことで正解は可能ですが、現実にコレを行ったら生存率はあまり高くないかもしれません。

さらに改変していくと……

では、更に改変し、そもそもの設定を死刑囚でなく単なるゲーム参加者としたらどうなるでしょう。正解者に与えられるのは「釈放」でなく「賞金」。正解者たちで100万円を山分け、となったらどうでしょう。まず起こるのは「宣言」がされなくなることです。「宣言」は左側にいるDに情報を与えるだけだからです。山分けにする以上、正解者はなるべく少なくしたいところです。となると、単純にAとBが同色だったときのC、或いはBとCが同色だったときのAが、有利となります。従来のように「宣言」がされなかったとしても、それが戦略的に「宣言」を行われなかったという可能性があるため、Bがそこから情報を受け取ることができないからです。

しかし、或いは虚偽の「宣言」が戦略として取り入れられるかもしれません。虚偽の「宣言」をすることで確実にDを不正解させることができるからです。が、あくまでそれはDがそれを信じるならば、という前提付きなので、Dが合理的参加者である限り、そこは裏を読み合う心理戦にしかなりません。

では、正しい「宣言」を行った参加者には、あとでボーナス10万円が与えられるとなれば。恐らくこの場合は早押し「宣言」合戦です。自分の帽子の色がたとえ分からなくても、1/2の確率で10万円が手に入るため、期待値は5万円です。四人全員が我先にと「宣言」権を取り合う展開になります。「宣言」の情報価値は更に低くなり、というか殆どゼロになってしまいます。

信頼が失われるとゲームは陳腐になる

そもそものルールにおいて合理的選択が成り立ったのは、このゲームが四人の信頼関係を元にした共同作業であったからです。信頼という言葉だとキレイすぎるかもしれません。なにしろ、ヘタなことを言ったら即全員射殺ですから、人間関係というよりもそのルールの元に成り立っているかりそめの信頼でしかありません。しかしそれでも、元の問題においては、AやDにはただ他の囚人に運命を任せる勇気が求められ、BとCはお互いの合理的判断を信じなければなりませんし、僕の改変版にいたっては、全員が全員の合理的判断能力を信じなければなりません。

その信頼が失われ、「相手を出し抜く」という概念が、構造の中に生まれることによって、このゲームは単に相手の裏の裏の裏の裏をかき続けるような陳腐なゲームになってしまいました。これは、個人的には、とある数百人規模で行われたアナログゲームに参加した際に考えさせられたことでもあります。もっとも、そのゲームに関しては構造の中に「相手を出し抜く」という概念が組み込まれていることこそが罠であり、それを自ら取り除くということが正解であったわけですが。

 

…だからなんだ、と言われると困るのですが、こういう思考ゲームって面白いですよね。というだけの話でした。

お粗末さまでした。

数字について【MENSA, IQ, 偏差値, 割合, etc】

僕は、MENSAという高IQ団体に所属しています。

この団体への入会条件は、人口上位2%のIQを持っているということで、数値にしてIQ130以上ということになります。僕は厳密なIQテストを受けたことがないので自分のIQ値を知りませんが、MENSAの実施するテストを受験し、入会を許されました。

さて、この数字をどう捉えるか、というのが今回の主題です。

が、その前に断っておきたいのですが、僕はMENSAという団体が割と好きで、とても楽しく交流ができているため、IQという指標自体の是非や、MENSAのテスト内容の是非、これから述べるような「2%という基準」の是非、等々をさておいて、ある程度IQが高い自覚のある方には、是非入ってみることをオススメします。日本支部であるJAPAN MENSAはウェブ上で模擬試験等を掲載していませんが、ヨーロッパのMENSA、例えばノルウェーのMENSAはオンラインで模擬試験を公開したりしているので、試しにやってみるのも良いかもしれません。

はい宣伝終わり。

では本題。IQという数値について考えます。例えば、先述のMENSAの基準IQ130以上、というのは、標準偏差15における数値で、海外では用いられることのある標準偏差24の値で言うと、IQ148以上となります。

何を言っているのか、と思われる方もいるでしょうから、ざっくりと説明すると、標準偏差(Standard Deviation 以下SDと省略)というのは言わば、データの散らばり具合です*1。先ほどから述べているIQという数値は、平均を100、SDを15や16や24に「設定」して、算出される値をいいます。従って、SD24の値は、SD15の値よりも散らばりが大きい、つまり平均との乖離が大きくなるため、言ってしまえば高くても低くても大袈裟に値が出ます。

そのため、IQはSDとセットで示さないと指標としての意味が薄いということになります。ちょうど「中間試験で平均より20点上だった!」くらいのものです。その「20点」の価値が試験によって異なるためです。クラスの殆どの人間が平均 ± 5点くらいに収まっている中で一人だけ + 20点なら割とすごいですし、そもそも実は5教科合計点の話で平均 ± 100点以上もザラ、なんて話だとなんとも言えません。

ちなみに、SDが異なる値には簡単に変換が出来ます。平均との差を元のSDで割り、変換先のSDを掛けて、平均に足して戻してやるのです。例えば、SD24でIQ136は、SD15では、(136 - 100) ÷ 24 ×  15 + 100 = 122.5ということになります。

さて、似たような指標に、所謂「偏差値」があります。似ていると言っても、知能指数と学力は似ている、とかそんな話ではありません。この二つは全く異なるものを測っている指標です。が、偏差値というのはテストの点数を元に、平均を50、SDを10に設定して、算出される値をいうため、算出方法という意味では似ています。雑な話ですが、たとえば偏差値60というのはIQでいう115(SD15)ということです。またIQ130(SD15)というのは偏差値でいうと70になります(繰り返しますが、IQと学力は全く異なる指標です)。本来、テストの素点なんてものは、平均点も散らばりも物によって千差万別のものでありますが、その平均値とSDを揃えることによって、あらゆる比較をしやすくしたのが「偏差値」であるわけです。IQなんて一般にあまり親しみのある指標ではないでしょうが、偏差値については値の感覚を掴んでいる人も多いでしょう。

では、人口上位2%という割合を考えてみます。そもそも人口上位2%という方がMENSAの入会基準としては先立っていて、IQ130云々は、IQの分布が正規分布に従うという性質から算出されたものです(正確には130より微妙に高い)。しかし、2%というのは50人に一人なので、学校の1, 2クラスに一人くらいの割合で居ることになりますし、満員電車なら一両に5, 6人くらい居ることになります。言ってみればそんなものです。友達100人居れば2人の割合ですが、友達は無作為抽出ではなく、大いにバイアスがかかっているものですから、もっと多かったり少なかったりするでしょうし、コミュニティによっても異なるものと思われます。

このように、同じ数字一つをとっても、測り方や捉え方、考え方、言い方によっても、表情は大きく変わると言えます。比較対象を持ってきて、さも意味ありげに「東大生の平均IQは120、MENSA最低IQは130(SD15)」と言うこともできれば、「日本人250万人以上が該当、全国の佐藤さんより多い」と言うこともできます。先日の禁煙化にまつわるデータもそうでしたが、数字やデータがあるだけで、人間ちょっと信じやすくなってしまう、どころか一気にまるっと信じてしまうなんてこともあるので、ご注意を。

*1:一言で定義すると、平均との差の二乗平均平方根です

バリアフル新宿

25日、28日と夜窓のライブがあったため、楽器をキャリーカートで運んでいたのですが、両日とも新宿経由で会場に向かう中で、再確認したことがあります。

本当に、新宿駅というのはバリアフリーならぬバリアフルであるということです。

別にまぁ、この場合僕は荷物が多いというだけなのですが、ベビーカーを運んでいるのに近い状況なわけで、僕が不便を感じるということは、ベビーカーを運ぶお母さんがたも当然苦労をされているはずです。

具体的なルート、京王線から中央線への乗り換えで説明します。京王線新宿駅に到着すると、まずエスカレーター・エレベーターの類が見当たりません。これらは降車ホームに存在しないのです。エスカレーターは1,3番ホームに一箇所ずつ、エレベーターは3番ホームの端っこにしか存在せず、大分遠回りをさせられます。頑張って階段を登るなり遠回りをしつつ文明の利器に頼るなりしてJR線連絡の改札を出て――ちなみにこの改札も幅の広い改札機が設置されていないので、ズリズリと引っかかりながら抜けるのですが――、JR方面に向かおうとすると、謎のチョイ下り階段とチョイ上り階段*1に出くわします。これは回避不能です。1/4階分くらい階段で下ったあとは100mくらい(?)の廊下を直進、再び1/4階くらいの階段を登ると、ようやくJRの中央通路です。ここは左右に分かれて階段やエスカレーターでホームに登れるようになっています。エレベーター?そんなものは全く存在しません。僕の場合はベビーカーよりはマシでエスカレータを使えますので、さて、中央線ホームへのエスカレーターは…と向かうと、下りしかありません。えっ、えっ、と思いながら文字通り右往左往するも、上りエスカレーターはありません。階段待ったなしです。

そんなわけで貧弱ドラマーの僕はもういま筋肉痛です。

ちなみに、階段・エスカレーターを全く利用しないで済む、バリアフリールートというのは一応さすがに存在はするようです。東口方面ではなく、南口方面に向かえばよいようですが、当然事前に知っていないといけませんし、東口方面の改札をうっかり出てしまったらもう詰みです。

時間に余裕を持って動いたり、事前にルートをしっかり考えておけばいい、と言われたらそうなのかもしれませんが、何線はこっち、とか書いてある看板に素朴に従うと、大変なルートを通らされる可能性があるというのは、観光客も含め、利用者にやさしいとは言えないのではないでしょうか。

東京オリンピック開催も迫っているわけですが、そうでなくても、新宿駅というのは一日の平均乗降客数が世界一の駅であるわけです。その世界一の駅がこんなにバリアフルであるというのは、大きな問題であるように思われます。

*1:構内図を見る限り、コレはどうやら小田急線改札をくぐるためにこうなっているようです。もっと効率的な構造にはできなかったんですかね。。