Cornelius『あなたがいるなら』

Corneliusの11年ぶりのシングルとのことで、そういえば、その11年前のシングルって僕持ってるやつじゃないかな?と自分のCD棚にある唯一のCorneliusのシングルを引っ張り出してみたら、2006年発売の『MUSIC』。これは、と思ったのですが、どうやらこの年はその翌月に『BREEZIN'』が発売されていたとのことで、ニアミスでした。では、アルバムはどうかというと同年に発売された『SENSUOUS』以来出ていない(CMシリーズ除く)ので、やはり純Corneliusとしては2006年ぶりの楽曲と捉えてよさそうです。

さて、この曲。めちゃくちゃカッコイイです。揺らぎとスリップとポリリズムが満載の浮遊感のあるグルーヴながら、毎度のごとく細分化されまくりで一分の隙もないCorneliusサウンドが共存していて、新境地というか、この方向性における一つの極点に達したのではないかと思います。構造としては、基礎にあるものは非常にシンプルで、それらを微妙にズラして置きつつ、細かい装飾を無数に散らばめている、といったところでしょうか。それが、非常に有機的に動いていて、しっかりラヴソングになっているというのが凄いところだと思います。最初に聴いた印象では、なんとなくunbeltipoなんかを想起してしまいましたが、聴けば聴くほど色々なものが染み入ってきてシンプルに聴こえてきます。坂本慎太郎の詩もなんだかストレートだな、とか、エレピはやっぱり純粋に切なくて良い音だな、とか。

ただ、細かいところですが、なんだか2:00にケータイのバイブレーションのような音が入ってる気がしますが、コレなんでしょう?僕にはノイズに聞こえるのですが…。

リズムの分析については、この記事が詳しいと思われます(Togetter)。

また、MVも非常によくできていて意味深ですが、その記号を読み解いている記事が以下。"エロすぎる"らしいです。確かに、という感じもします。なお、6月28日にはこの曲も収録されたアルバム『Mellow Waves』が発売とのことなので、こちらも楽しみに待ちましょう。

『正解するカド』6話「テトロク」

今回はカドの移動が主題でした。

やはり空港の滑走路に2km四方の物体(物体じゃないですが)がずっと居座るのは邪魔だろうということでしょう。しかし出てきたときのように空中からポン、とは行かず、転がさなければならないとのことで、なんだかゲームの『XI [sai] 』を思い出してしまいましたが、転がし方はサイのようではなく。ちょうど僕も見ているときに思いつきましたが、まさにカドの角を利用して転がしていました。住民の避難なども含めて移動計画を立てて実行に移していく様は、やっぱりちょっと『シン・ゴジラ』的で、大規模な計画というのがどういう風にワークしていくのかというのを見るのは、なんだか楽しいものです。

そして、次。今度は「人類はもう眠らなくていい」とのこと。真道自身も既に何日も寝ていないようで、そもそもそれに気付くの遅いだろ、という感じはしますが、またザシュニナが何か新たなモノを人類にもたらすようです。

…思うに、この作品は実はリアルな『ドラえもん』なのではないでしょうか。ひみつ道具を、如何に人類が使うか、共有するか、向き合うか、などをシビアに描いている、そんな捉え方もできるように思います。逆に言えば『ドラえもん』のひみつ道具も、もっとリアルにシビアに描けば、結構面白そうだな、なんて。

ザシュえもんの次なるひみつ道具が何なのか、楽しみに次週を待ちたいと思います。

国語と算数のできない大人は本当に意味が分からない

僕は個別指導の学習塾でバイト講師をしてるのですが、子供というのは本当にすごい、なんて言うと月並みな感じですが、少し前までは一つもやる気がなくて同学年の子と比べて明らかに幼い、ちょっとした問題児みたいな小学生が、見違えるほどとまでは言わずとも、いつの間にか好奇心やら向学心やらが芽生えていて自然に勉強に取り組むようになっている、そんなのを目の当たりにしたりすると、人間の学習や成長とは本当に素晴らしい、なんなら少し怖いくらいのものだな、と思ってしまいます。

しかしそんな一方で、いい大人なのに国語やら算数やらができない人と出くわしたりすると、いや正確には、そんな人の「国語・算数できなさ」に直面すると、なんだか苛立ちを覚えてしまいます。もちろん、お勉強的な意味での国語・算数自体ができなくてもいい、言い換えれば国語・算数の問題を解くためのスキルがなくてもいいのですが、国語・算数を学ぶ過程で培われるような、論理感覚とでも言うのでしょうか、そういったコミュニケーションの素地になるものを持っていない人というのは、思っているよりも平気で居て、遭遇するともらい事故のように不快な思いをさせられたり、不利益を被ることになります。しかも大抵、そういう人って無自覚で悪意がなかったりしますし、更に、なにしろコミュニケーションが満足に取れないのでたとえ本人に伝えてものれんに腕押しというやつで、彼または彼女がそのまま大人になってしまった所以を思い知らされることになります。本当に対処不能、歩く理不尽みたいなものです。

例えば自動車のもらい事故というのは、遭うときは遭ってしまうものですが、なるべく確率的に遭いにくいようにする、という努力の仕方もあります。

クルマの危険回避術!もらい事故を防ぐテクニックと事故後の正しい対応:カーピックス

まとめると“もらい事故”にあわない人は、周りに気を配りいち早く危険を察知し、自分が次にどう動くかを周りへ伝えるコミュニケーションが上手い人だと言えるでしょう。

結局この件についても通ずるものがありそうです。加えて、事故に遭いにくい環境を選んで身を置く、というのが妥当な対策であろうと思われ、一抹の寂しさを覚えますが、止む方なしとするべきかもしれません。