テロのはなし

当サイトに関していつもは、PC*1を使って記事を書いていたのですが、ふと今電車に乗って移動中に時間の有効活用したいと考え(かつ最近ご無沙汰である当サイトをいい加減に更新しなければという危機感を覚え)、携帯電話から記事を書く第一号が、この記事となります。

というわけで、目的地まであと三駅というところで、この記事を仕上げなくてはならないのですが、最近、というか少し前からずっと考えているテーマに「テロ」というものがあります。

これに関しては、色々な観点で思うところがあるのですが、あえて絞って言えば、「テロというのはマイノリティ(或いは弱者)による、マジョリティ(或いは強者)に対しての抵抗の手段である」ということと、「テロが、恐らく現状において唯一の抵抗手段である」ということの二点に集約されます。

こう書くとかなり危険なテロ賛美思想のようですが、敢えて言えば僕はテロというものについては確かに肯定的であります。と更に危険な書き方をしましたが、間違いなくされているであろう誤解を解くと、僕はテロに対しての肯定否定と、所謂「テロ」のように人を殺すことに関しての肯定否定は、分けて考えているということです。勿論、後者に関しては断固として否定的なのです。

まぁ勿論、こうなってくると「テロ」という言葉の定義の問題になってきて、そして僕はそれを正確に把握しているとは言い難いですが、人を殺すような所謂「テロ」から、人を殺す(あるいはそれに類すること)という行為(乃至結果)を取り除いても、テロのテロ性というものを抽出できるのではないかと思っているのです。そしてそれこそが、現状における唯一の抵抗手段であると考えています。

思ったよりやばい話のまま終わってしまいましたので、近日中に続編を書きます……。

*1:そう言えばラーメンズの二人を起用して「こんにちはMacです」「こんにちはパソコンです」というCMがありましたが、小学生のころから父親の持っていたMacを使ってきた僕は、MacのこともWindowsと同様にパソコン乃至PCと呼んできたので、なんだかあのCMには特に共感出来ませんでした