「絞る」

ベルリンに一人旅に行った時、ホステルに泊まったのですが部屋にハンガーがなかったので、フロントの男性に相談したことがありました。単に、ハンガーをいくつかくれないか、と聞いただけなのですが、それがなかなか伝わらず苦労したのです。これが、僕の英語の(ドイツ語は数字を三つまでしか数えられないレベルなので基本的にずっと英語でコミュニケーションを取っていました)発音に問題があったのか、もっと一般的にハンガーを指す言葉があったのかは判然としませんが、"things that are to hang clothes"などと微妙な英語を並べて、なんとか理解をしてもらいました。しかし、結局「うちは三ツ星ホテルってわけじゃないから、なんでも揃えてるってわけじゃないんだ。でも15分くれれば何とか探してみるよ。」という回答をもらい、しかし15分後にも平然として特にハンガーをくれる素振りも見せず、という結果だったので、ハンガーは得られなかったのでした。

そもそも何故僕がその時そんなにハンガーを欲していたのかといえば、僕の洋服がびっちゃびっちゃであったからです。というのは、僕はそのベルリン一人旅に行く前は、当時ドイツに居た友人の家に居候をしていて、そこの洗濯機を使って洗濯をしたのですが、操作を間違えたか故障していたか(恐らく後者ですが)、脱水が全くされず服が完全に水浸しだったのです。手で固く絞って、極力水分を抜いたものの当然限界はあり、洗濯をしたのがベルリンへ旅立つ直前だったこともあり、いわばtotally wetな洋服を持っていかざるを得なかったのです。従って、それを乾かす必要があり、ハンガーを求めていたと、そういうわけです。結局、ベッドのサイドにある「柵」(これもうちょっと適切な表現ありそうですけど誰かご存じないですかね)に、到着早々下着を含めた衣類を無理くり干す羽目になりました。

ところで、仕方なくやったわけですが、この服を絞るという行為、恐らくは服に一定以上の負荷がかかっただろうなぁと。勿論それで破れたりとかそういうことはなかったのですが、子供の頃にやったことがあるでしょうか、人の腕を雑巾を絞るようにするととても痛いのです。

そして、考えてみれば「絞る」という言葉は、単に物理的に絞るという行為以外にも、抽象的に使われる言葉であります。「上司に絞られた」とか、「勇気を振り絞って*1」「知恵を絞って」「体力を振り絞って」などなど。そしてどれもが、何かに大きな負荷をかける、と言う意味では共通しているように思います。居酒屋でセルフ作業タイプの生搾りレモンサワーなどを頼んだことのある人ならお分かりになると思いますが、フレッシュで美味しいのですが、レモンの気持ちになってみればあの凶悪な器具によって果肉を蹂躙され果汁を絞り尽くされ、残るのは皮と破壊しつくされた果肉だけ、という悲劇に遭わされるわけです。

なんだか残酷な話のようになってしまいましたが、しかしそれでも「絞る」ということは何かをするためには必要になってくるものだと思うのです。即ち、何かに大きな負荷をかける行為なわけですが、同時に「絞る」という行為にはその負荷をかけた結果、必ず成果物が得られるというニュアンスがあります。実はこの言葉、具体的行為を抽象化した言葉でしかないわけですが、割に結構いい言葉なんじゃないかと思うのです。

「頑張る」とか「努力する」とかという言葉は、言われつくされたせいなのか、「報われるとは限らない」という認識が広がっているように思います。しかし「絞る」はどうでしょう。絞ればほぼ間違いなく何かはにじみ出てくるのです。だから、我々が現状を変革したいという時に使うべきスローガンは、もしかしたら「絞っていく」ということなのかもしれません。

*1:この「振り」というのはなんだろうと疑問に思ったのですが、意味を考えると「ぶっ飛ばす」の「ぶっ」のような強調の意なんではなかろうかと。