手紙

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ある手紙

単なるお節介となんて思わないでくれ、

私には君にちょっとした好意があると言っていい。

母から見せてもらった、僕に宛てられた「手紙」の一節にはそうあった。

僕が子供の頃、ずっとお世話になっていた女医の先生によって書かれたものだ。

そんな手紙を僕が読むことになったのは、つい最近、その先生のところに患者として伺ったのがきっかけだった。その際に、彼女が見せた僕への深い気遣いある対応が印象に残り、それを母に話したところで、これを見せられたのであった。

文学的でさえあったその手紙を読んで、僕はとても感動したのであるが、しかし、ここにはとても残念な事実がある。それは、つまりこの話が全てさっき見た夢の話であって、一つも事実ではないということである。

ここまで書いたの全部嘘(もちろん最後を除く)

いやあ、ホント残念です。これ本当にいい話なんですよ。何がいい話かって、そりゃあ、もうそんなことはこれっぽっちも思い出せないですけどなにせ夢ですから、しかし、本当にここにはとてつもない感動ストーリーが、ドラマ化映画化したら全国が泣くレベルの美談があったはずなんですが、そもそも全部嘘だし、思い出そうとすれば思い出そうとするほど、まるでアリジゴクの巣でもがけばもがくほど周りが崩れて底に落ちてゆき出られなくなっていくかのごとく、思い出せなくなっていくのです。

もういっそフィクションならフィクションでいいから・・・

果たして夢というのは何であるのか、という話をフロイト先生ユング先生を引用しながら論じる*1なんてことは僕には出来ないですしするつもりもないのですが、一つ聞いたところによると、夢というのは現実での記憶の整理のために見るものである、という話があるようです。それにしては、ちょっとリアリティがある*2夢、というか現実なのか紛らわしいほどの夢を見せてくれるじゃないかこの脳め、という感じですが、まぁとりあえずこれは脳の創りだしたフィクションなわけです。自分たった一人のためだけに一夜限り上映された映画なわけです。*3

まぁしかしいい話に嘘も本当もない、というと語弊がありますが、いい話であればフィクションだろうがノンフィクションだろうが、それ自体いい話として価値があると思うので、折角作って見せてくれたのならばちゃんと記憶に残してくれよ僕の脳、と思うのですが、残念ながらもう全然覚えてないです。

僕ならまだいいのですが・・・

例えば実際に物語を書く作家の方々であったりにとっては、こういうことってすごくもどかしいことなんでないかと思うのです。そして、普段からどういう物語を作り出すかということを考えている分、脳くんもストーリーテラーとして優秀になっていそうですし、そういう夢を見る頻度も高いのではないかと思ってしまいますが、実際どうしているのでしょう。頑張って起きた後に膨らませていくんでしょうか。*4

音楽家であれば、「夢で聞こえてきたメロディを実際に曲に・・・」なんて話もありますが、なにかを創作する職業の方々にはそういうのはままあることなんでしょうか。しかし同じ脳がやっていることなのだから、無意識とか意識とかカタイことは言わず、創りたいときに創りたいものを創れるような体になってほしいものです。まぁ、そうじゃないからこそ「インプロヴィゼーション」なんて方法論があったりするんでしょうが。

では、失われてしまった物語に一抹の寂しさを覚えつつ、次なる物語を夢見て、僕はまた旅にでようと思います。

 

はい。二度寝です。

(P.S. 今回の僕が見た夢を夢分析するのはやめて下さい)

*1:ヤン・シュヴァンクマイエルによる2010年の実写(?)映画『サヴァイヴィング・ライフ』はモロにそんな話でした。個人的に本作は、「心理学入門」みたいな印象で、映画としての出来はどうだろう、なんてちょっと思いましたが、まぁ面白いので機会あれば是非、なんてオススメしたいところですが、DVDレンタルとかが出ていないので見る機会がかなり少ない作品ではあります

*2:なにせ、つい最近その女医のところへ診察に行った、なんていうエピソードまで組み込まれているのですから。え?もちろん実際には行ってないですよ?ていうか誰ですかこの「女医」って。

*3:同時上映で、伯父に自転車のギア比について説明する話や、母が昔タイムスリップして29XX年に行った時の話などもありました。それに対して社会の均質化とかそんな話をした記憶もありますがもちろん全部夢です

*4:ちなみに、夢で見たことにこんなことを言うのも変ですが、今回書いた僕の夢の内容に関しては脚色ゼロ、「こんな夢を見た」ということについては100%実話でお送りしています