「説明」という幻想、復讐の現代的形態

「説明責任」という言葉をよく聞くようになったのは、なんだかんだここ数年のような気がするのですが、どうにも僕には、この「説明」というものに過度な期待や、なにか、無き望みをかけているような風潮があるように見えるのです。

「納得行く説明」を求める声は、いま非常に多くの場面において聞かれます。それはつまり、当然ながら納得できていない状況にあるということで、そういう中には、むしろ何らかの不条理、憂き目、心なき者からの被害に遭ったような人達もいるであろうと思われ、そういう人達を責めるべきではないと思うのですが、その「説明」は恐らく幻想であって、それを求められている側の人間がどれだけ言葉を尽くしたところで、満たされることのない要求であるように思うのです。

例えば、政治において野党が与党の何らかの不祥事等に対して、「説明」をしろと追求するのは、これは攻撃の戦略としてあるものですから、別にこれは加害者・被害者という構造ではありません。しかしそうでない場合――具体的な事件・事案を挙げることは避けますが――、害を被っている人々は、そのどうしようもない状況を、「説明」という言葉によって、或いはそれを待つということによって、自分自身の感情をなんとか抑えている、そんな風にも見えます。

これは、なんとなく「復讐」の構造に似ている、なんなら、一つの復讐の形態なのではないか、とさえ思います。「復讐は空しい」なんて言われつくされた常套句もありますが、しかし人間が復讐に走る、或いは復讐劇というものに人間がどこか言いようのない痛快さを覚える、というのは、復讐によって何かが得られたり改善したりするのではなく、またそれらに期待しているのではなく、ただ単純に、復讐をせざるを得ない、そうしなければ収まりがつかない、損得勘定や理性を超えた、ひたすらに純粋な情動として復讐があるから、であると思います。

「説明」を求める、なんて言うと、なんだか冷静で論理的な印象を受けますが、その内実には、そういうもっと生々しい感情が渦巻いているように思えます。言い逃れのできない、単純に相手に非があるような状況で、「納得の行く説明を」と迫る。加害者は、たとえそれに対し誠意を持っていたとしても、そして誠意ある対応・回答をしたとしても、被害者は「なるほど、そういうことだったのか」と納得するはずなんてないため、再度「説明を」と迫る。このサイクルは、現代における復讐の形態と言えるのかもしれません。

本日の酒:天吹 純米大吟醸 さけ武蔵

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イオンリカーにて商品入れ替えのためのセール価格で、なんと税込1,300円だったため思わず購入してしまいました。佐賀の天吹酒造は、一度蔵見学させていただいたことがあったので、それもあり。花酵母を利用した酒造りが有名で、文字通りというべきか、華やかな印象の日本酒を作る蔵です。ちなみに、お店には広島の宝寿という日本酒もありました(こちらは初めて聞いた名前)。

こちら、イオンとの共同開発の日本酒とのこと。なんでも、埼玉のご当地酒造好適米の「さけ武蔵」をイオンの農場で育てるところからはじまり、醸造については各蔵に委託したとのこと。

しかし、実はこれ発売は昨年の6月のものです。元々、同年3月にしぼりたてとして発売された日本酒を熟成させて出荷した酒なのですが、それから更に一年間経っていることになります。まぁ生酒ではないですし、一応イオン「リカー」ですから、そう劣悪な管理もされていないであろうとは思い、購入に至りました。

さて、グラスに入れてみると、3ヶ月とは言え熟成酒らしくほんのり黄色く色づいています。しかし、やはり純米大吟醸らしく、また天吹らしく、注いだだけでも感じられるほどに香りはとても華やかです。甘酸っぱさを感じつつも、熟成酒的な低音域と米のふくよかさ、麹感があります。全体通してなかなかユニークなキャラクターです。唯一、飲み終わったあと、舌に少しながら嫌な味が、割と長くしつこく残っているように感じられ、そこが残念といえば残念です。が、まぁ、大きな欠点というレベルでの雑味ではありません。

特段、悪くなっている印象もありませんし、これが1,300円はやはり安いでしょう。買いです買い。イオンリカー全店でやっているかは分かりませんが、お近くにイオンリカーがある方は覗いてみるといいかもしれません。

『正解するカド』は、仏教VSイスラム教アニメ(10話時点感想)

※未視聴の方はネタバレにご注意下さい

9話での「超展開」を経ての今話。この展開には幻滅するような向きもあるようで、まぁそれもやむなしという気はします。8話までの流れのまま、硬派SF寄りのままで物語が展開していくことへの期待は僕もありましたし、圧倒的な異方の力に対して、主人公・真道や徭の交渉術が活躍し世界の命運を握っていく、というの展開にも期待があり、それには個人的に「アツさ」を感じていました。それが、言うなればグレンラガン的になってきたような感じは、正直ちょっと残念だとは思っています。

しかし、この記事を書くにあたって色々考えて気づいたのですが、これはSFでもグレンラガンでもない、ガチ宗教思想アニメなのではないでしょうか。というのも、徭沙羅香というキャラクターが、見れば見るほど分かりやすく非常に仏教的存在なのです。

その話の前に一旦、10話の内容を見てみましょう。まず、「トワノサキワ'」というタイトルです。今話OP直後の宇宙創生を描いていると思われる映像において、画面左に違法存在達の会話と思われるものが字幕で流れます。これに登場するのが、ト、ワ、ノ、サ、キの五人(と言う数え方は正しいのか。。)であります。そこで、タイトルをよく見ると、「トワノサキワ'」と、最後は「ワ’」になっています。ダッシュ或いはプライムです。これは恐らく、現在の徭のことを表していて、異方存在であった「ワ」が宇宙という低次元世界に降り立つために、自らを変換し、「ワ'」になったということでしょう。ある意味、微分なのかもしれません。まぁそれでいえば、異方はこの宇宙+37次元らしいので、「ワ'''''''''''''''''''''''''''''''''''''」になりますが。

ところで少し脱線しますが、僕が間違ってるかもしれないんですが、前話のザシュニナの「異方はこの宇宙の次元に37を加える」というのと「この宇宙の37乗倍の情報量」って矛盾してる気がするのですが。指数法則で考えれば、前者を前提とすれば40/3乗倍の情報量、後者であれば異方は3*37=111次元になるのでは?と言いつつあまり自信なし。誰か数学分かる方教えてください。しかしこれもし万が一、制作側が間違ってるとかなりダサい、というかもうSFとして失格になりそうなので、割と大事なところです。なので妙な言い方ですが僕が間違ってて欲しいところです。。

もう少し脱線して、真道が前話において、「光の速さも、力の大きさも、みんな異方存在が決めたというのか」と発言してますが、ここで「光の速さ」と「力の大きさ」という二つをチョイスしたのは、特殊相対性理論の中の「E=mc^2」から来ているのでしょうかね。でもホント僕文系だしニワカにもほどがあるので、誰か(ry

話を戻しますが、この異方存在の会話の中で気になるのは、「キ」が「行こう」と発言しているところです。つまり、徭と別に「キ」が宇宙にいる可能性があります。まぁ「自殺行為」とも言われているので、「キ」は何か失敗した可能性もあります。いずれにしても、今後何かの話でこれについては触れられそうです。

さて、「ワ」もとい「ワ’」について考えてみましょう。この「ワ'」について興味深いのは、その描かれ方が輪廻思想に基いていることです。植物を含め、色々な生命体を渡り歩いているように描かれています。

その「ワ'」の現在の姿、徭沙羅花の、その名前について考えてみましょう。

まず、沙羅花というのは、これは劇中でも明かされますが、沙羅双樹から来ています。そして、まぁ言わずもがなですが、劇中でもほのめかされるように、モチーフは平家物語の冒頭の一部「沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらわす」です。もっとも、劇中で引用されるのは「無常」「ただ春の夜の夢のごとし」の方ですが。そして、彼女はその「無常であること」に、愛を見出しています。刹那を一生懸命に生きる、ということに価値を見出し、それを愛しています。

では名字の、徭という字、初めて見た気がしたのですが、しかし調べてみれば律令制における労役、雑徭の徭であることが分かり、学校の歴史の試験でも書いていた可能性有り。いや歴史の成績悪かったから書けてなかったかも。。いずれにせよ、この「徭」という字は、労役を意味するようです。労役を苦と捉えるならば、輪廻を苦と捉えるという意味で仏教的です。しかし彼女は逆に、この世での限りある生にこそ価値を見出しているので、仏教の、輪廻からの解脱を目的とする価値観とは相違が生じていますが、先述の通り「無常」を愛しているわけですから、永久不変の我=アートマンを想定したり、善行を為してよりよき来世を、なんて考えるヒンドゥー教とは全く異なるので、やはり仏教的と考えたほうが良さそうです。ちょっと宗派レベルまでは分からない、というかコレも調べながら書いてるので、誰か宗教・思想分かる方(ry

では一方、ザシュニナの方はどうなのでしょう。もしかして、と思って調べてみると、どうにもイスラム教との符合が多く。「唯一なる神が、預言者を通して人類に下した啓典が、人類にとって正しい信仰の拠り所となる」(Wikipediaの一部分を要約)。これに当てはめて考えれば、ザシュニナという神(本人は否定してますが)が、真道という預言者の役を通じて、カド・ワム・サンサ・ナノミスハインという四つのもので、人類を「正解」に導くという構造、ほぼピッタリはまるではありませんか。イスラム教の啓典が四つであるという、数までピッタリです*1

ちょっと、まだ考察と、そのための知識が足りていないので、なんとも言えないのですが、沙羅花は仏教、ザシュニナはイスラム教、ということで、僕は「正解するカド』は仏教VSイスラム教である説」推します。

ただ、ザシュニナの目的:人間を異方へ連れていき「情報」を得ること、であったり、沙羅花の行動原理:人ラブ!であったりは、それぞれイスラム教や仏教に由来しているものではなさそうですが、とはいえ、現実にある特定の宗教の化身のような二人が対立しているわけですから、これにはっきりと勝敗がついてしまうのもマズいわけなので、それでは物語がこれからどうやって帰結していくのか、如何に帰結できるのか、というのは気になるところです。

また、少し鼻につくのは、作品に流れる人間主義・人間賛美的な価値観で、それも含めて考えると、最終的に沙羅花もザシュニナも消えてしまい、なんならワムとかもなかったことになり、人間は自らの足で歩いていく、的な着地になってしまいそうな気もしていて、それはどうにも残念な気がしています。なにか、もうひとくだり、想像を超えたような展開に期待したいところです。

でも、このあと「キ」が登場して、それが思いっきりキリスト教的で、三大宗教三つ巴みたいなのは流石にややこしいのでやめてください。

*1:まぁイスラム教の啓典は、四つそれぞれ別の預言者なのですが。ちなみに万が一、今回のナノミスハインのケースのように、実はワムやサンサのときも一度反対して、殺されて、コピーが政府にワム等を伝える、みたいな流れであったとすればもう完璧