パチンコとソシャゲ

パチンコとソシャゲ*1って個人的には似ているものだと思うんですがどうでしょう。

今のソシャゲのCMの感じとパチンコのCMの感じ似ているなぁ、と思いながら見ていて思ったのですが、正直ああいう商売ってどうなんだろうなぁと思います。

個人的な所感を述べれば、ゲームというのは、現実から離れてヴァーチャルの世界に身を投じる、ということに一つ大きな意味が在ると思うのです。

ゲームの中でキャラクターが強くなったり、ゲームの中における自分のスキルが向上したりというのは、我々の生活においておおよそ何の役にも立たないことです。ゲームに本当に強くなって、それでお金を得られるなんて人はウメハラ*2くらいなもんです。しかしそれでもゲームというものはそこそこ長い歴史を経てきていて、その機能・特徴・特長というのはやはり、それがヴァーチャルであることに集約されているんではないかと思うのです。

というのも、実際にゲームをプレイする中でやっていることというのを、少し客観的に見てみると、ほとんど仕事のようなことだったりするのです。パズドラなんて、まぁ色々細かいシステムはあるんでしょうが、根本にあるのはブロックを動かして色を揃えるというひどく単純な作業です。まるで工場労働のようです。しかしそんな工場労働でも、ゲームの世界観とシステムによるパッケージングによって、楽しいものであるかのように感じられ、ハマってしまうわけです。そのほか、コンシュマーゲームでも所謂「おつかい」をさせられることはままあり、現実世界では面白くもなんともない、むしろ面倒であったりやりたくなかったりというような行動を、ヴァーチャルの世界だから面白く感じられたりするということがあるのです。

また、そのヴァーチャルの世界の中にいる時は、現実の自分を忘却することが出来ます。ゲームの世界の中で何を為したところで現実の世界では何の役にも立たないのと鏡写しのように、現実世界で何を為したところでゲームの世界においては何の役にも立たないのです。そのため、現実の自分とは全く関係のない、ヴァーチャル世界の自分に乗り移ることで、現実の自分から解放され、それを忘れ去ることが出来るのです。

しかしそういう意味で、パチンコやソシャゲというのはどうでしょう。それらは、ヴァーチャルの世界の中で現実のカネを使わせる構造になっています。ゲームのゲーム性やヴァーチャル性の追求よりもむしろ、ゲームを依代として用いて現実世界のカネを使わせることに主題が置かれているのではないかと思ってしまうのです。まぁ作り手側のマインドは置いておいたとしても、プレイヤーたちがヴァーチャル世界において現実感を持たないまま、現実のカネを使ってしまうという構造は、僕にはあまり健全なように思えません。

消費者が財やサービスの対価として消費者が金銭を払う。であれば、コンテンツを消費する際には、そのコンテンツ自体に対する対価として金銭を払うことになるわけなので、自分がそのコンテンツに相応の価値を感じているか否かというのを(意識的にせよ無意識的にせよ)判断して、消費するかどうか、金銭を払うかどうかを決定するわけですが、そこの判断する意識を揺らがせてしまう商売というのは、往々にして儲かり得るでしょうし、しかし、あまり健全ではないのではないか、と思ってしまう次第であります。こと、現実世界を離れた意識にその判断をさせる、なんて場合は顕著ではないでしょうか。

*1:ソーシャルゲーム。一般にスマートフォンタブレットなどでプレイされる、ネットワークを利用したシステムを内包したゲームのこと

*2:プロゲーマー。2D格闘ゲームの世界では伝説的な存在で、日本で最も有名なゲーマーと言っても過言ではない