ミクロとマクロを混同するとロクな事にならない

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ミクロとマクロを混同すると最悪人が死ぬ

先日、生徒の女の子が「ミクロ菩薩」という名言を残していましたが、ミクロ(微視的)とマクロ(巨視的)を混同するというのは、そんなかわいいもんじゃなくひどいことになる、場合によっては人が死ぬ、と思うのです。

僕は一応経済学部を出ていますが、しかしロクに勉強したこともないのですが、とは言え今回はミクロ経済学マクロ経済学の話ではないのですが、そして「ミクロ」と「マクロ」という言葉を混同したら、と言う話でもないのです。

ミクロ→マクロ

ミクロのことをマクロに不適切に転用すると偏見になります。例えば、あえてあっけらかんと言いますが、僕は「ベトナム人にロクな奴はいない」と思っています。

ロクな事にならないと言いながら、自分がやっちゃってるわけですが、どういうことかというと、僕は偶然何度かベトナム人と接する機会があったのですが、その度にロクな目に合わなかったのです。ベトナム航空の航空機に乗った時には、隣の席のベトナム人の母娘の娘の方(6-7歳?)が寝ながら僕の脚をガンガン蹴ったり僕の膝にデーンと脚を投げ出したり、フィリピンの英語学校でスチューデント・マネージャーをしていた頃には、ベトナム人生徒達(インターン生含む)の全員が、学校に到着して早々携帯電話もなく全く連絡が取れない状態で誰にも何も言わずに無断で半日失踪したり、人狼ゲームをやった時には占い師や霊媒師になったベトナム人が全然仕事をせず足を引っ張りまくり(コレはどうでもよい)。

と、これがミクロの経験・知識をマクロに転用した例です。とは言え、まぁ本気で「ベトナム人は全員ロクな奴じゃない」なんて思っていませんし、僕はこれが偏見であるということに自覚的ですし、今後ベトナム人に会う機会があった時にも「どうせこいつもロクな奴じゃない」なんて全く思わないでしょう。だからまぁ、問題は起きないと思っているのですが。しかし、コレ、容易に想像がつくように人種差別や国籍差別の一歩手前です。

そして、言うまでもなく「イスラム教徒は全員テロリスト」なんてのもこの一つで、非常に今差し迫った問題です。

マクロ→ミクロ

マクロのことをミクロに不適切に転用すると、まぁこれまた偏見になるわけですが、ちょっと先ほどのこととは異なる状況になります。これは例外を無視したりすることになるので、例外の方々、例外と言わず、マイノリティの人間にとっては、関係のないことを押し付けられるような結果になります。よくあるのは「男のくせに」「女のくせに」であるとか、でしょうか。

例えば、大阪の人間はノリが良いとか、面白いとか、そういうイメージをお持ちの方は多いと思います。僕もそういうイメージは少し持っています。そして実際に、そういう傾向はあるのではないかと思っています。それは大阪という土地に根付いた文化なんじゃないかと思いますし、その文化が発生したのは何故か、というのを歴史を遡っていって分析するというのもなかなか面白そうですが、今回の趣旨から外れるので置いておきます。

ということで、会う大阪の人間全員に「なにか面白い話してよ」なんて言うともうどう考えても迷惑な話です。いや、例えばその人が本当に面白い大阪人だったとしてももしかすると迷惑かもしれませんが、そうでなかった場合(なんて言い方もなんだか失礼ですが…)にはもう本当に迷惑でしょう。こういうことに関しては「秘密のケンミンSHOW」なんて番組がありますが、あれはそういう偏見を助長させている一つと言えなくもないんじゃないかと思います。勿論、そう重大な問題をはらんでいるわけではないと思うのですが。

ただ、ここで「いや、例外など絶対にあるはずがない!」なんて考えると大変なことになる可能性はあります。「私には表現の自由憲法上認められている!」と考えて「コレは一種のアートだ!」などと叫びながら「明日警視庁を爆破する!」なんてネット掲示板やらSNSやらにデーンと書くと逮捕されてしまうわけです。何故なら、表現の自由憲法上保障されているのは事実ですが、公共の福祉に反する表現に関しては例外であるという事実もあるからです。

また、東北の受けている風評被害についてもこの一例であると言えるかもしれません。確かに原発事故による放射能汚染によって、農産物・海産物が大きな被害を受けたという事実はありますが、東北の全てが放射能汚染されているなんて考えるのはあまりに馬鹿げた話です。

やっぱりどっちもダメ

いかがだったでしょうか。

最悪でしょう?

しかし、油断すると我々はこういった誤謬*1をしてしまいます。だから、折にふれて省みる必要があるのではないかと思います。ミクロをマクロに、マクロをミクロに、不適切に転用させてはいないか。

「弥勒」の語源は「慈しみ」だそうです。弥勒がこの世に現れるのは56億7千万年後らしいですが、我々も慈しみを持って、人にも物事にも偏った見方はしないよう努めたいものです。

*1:ごびゅう。今回のミクロとマクロの混同に関しては、「例外の撲滅」や「早まった一般化」「偏りのある標本」などといった累計に属すると思われます。詳しくは非常に良記事でありますので(2015年11月現在)、Wikipediaを参照してみてください→https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%A4%E8%AC%AC