非ビニール傘人間

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あなたはビニール傘人間だろうか。非ビニール傘人間だろうか。

ビニール傘とは、考えてみれば非常に合理的なものだ。透明で向こう側まで見通せるため、交通事故が多いであろう雨の日においての安全性も高い。何より安い。異論はあろうが、傘は壊れ物であり消耗品である。また紛失の可能性も割に高いため、安さというのは傘において重要なファクターといえる。そういった意味で、他の傘と比べて非常に合理的であると僕は考える。

しかし一方で、ビニール傘に対しては「安っぽい(実際に安いのだから仕方ない)」とか「みっともない」という価値観も、一般に存在する。ビニール傘を使えるのはまぁせいぜい学生まで、なんていうのも聞いたことがある。なるほど、収入も安定して得られて、かつては反発を覚えていた「世間体」というものの大切さも分かってきた「社会人」ともなれば、ビニール傘なんて使わずに「ちゃんとした」傘を使うべきだ、とそういうことだろうか。

ところで、このビニール傘というのが社会に普及したのがいつ頃の出来事なのかは知らないが、多分登場してから100年は経っていないだろうし、「傘史」においては新参者だろう。文明・技術の発展の象徴、或いは、大量生産大量消費・資本主義の象徴としても、見ることが出来るかもしれない。

そんなことを、例によって酒を飲みながらぼんやり考えているわけだが、酒における「ビニール傘」は、それで言うとビールにあたるだろうか。日本においてビールは大手四社を中心に、オートメーションの大量生産によって低価格化を実現し*1、競争を行っている。そして、高温多湿であり、アルコール分解能の低い人種であり、「とりあえずビール」とか言い出す国民性の、日本である。ビールという酒の性質はこれらにいちいちピッタリだ。安くて利便性が高い、これまた非常に合理的な酒である。その中でも近年登場した、第二第三第四のビールは、その中でも「ビニール傘」最右翼だろう。

傘は家の中で差したりしないが、ビールはスーパーで買って家で飲む。だからまぁ、ひとえに人の目に触れるか否かという問題なのは百も承知だが、僕はどうにも、「クリアアサヒが家で冷えてる」と「心ウキウキワクワク」しながらも、ビニール傘は決して差さない人達には、言いようのない「ねじれ」を感じて仕方がない。ビニール傘を差さない非ビニール傘人間は、人の目があろうがなかろうが、非ビニール傘的なものをこだわって消費・享受する姿勢を貫くべきではないのか。

さて、あなたはビニール傘人間だろうか。非ビニール傘人間だろうか。

*1:もちろんこれは日本の中においてだけの比較の話で、むしろ僕個人は日本のビールに関しては何故このクオリティでこの値段なのか、といつも思っていて、それが少なくとも酒税の問題では無いということは言及しておく

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