映画「セッション(原題:Whiplash)」感想 ※ネタバレ無し

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話題の映画、「セッション」を見ました。

サンダンス映画祭でのグランプリ、助演男優賞を含むアカデミー賞部門受賞など、世界の映画祭で賞を総なめにし、インターネットで少し見渡してみても、どこもかしこも絶賛の嵐。もう既に世の中では「傑作」としての立ち位置を築きつつある、そんな本作。

しかし、僕は、ここで声を大にして言いたいのです。

 

これは、酷くタチの悪いクソ映画であると。

 

さて、これより本作に関して感想を書いていこうと思いますが、望まない人にネタバレを強いることのないよう配慮して、また同時に、この作品への個々人の 評価に関してはジャズ(或いは音楽)への理解度の高低が多分に影響すると思われるために、この感想は三部構成とな……る予定でしたが、段々飽きてきたかなり長くなってしまったために、当初"第一部"と銘打っていた部分のみを公開することとします。もしかすると、今後、第二部・第三部を追記していくかもしれません。*1

では、はじめます。

第一部だったもの

それではまず、予告編をご覧ください。

どうでしょう。

ちょっと面白そうじゃないですか?

僕もそう思っていました。

しかし、ある日、この映画に関するとある評に出会いました。

それは菊地成孔*2による評論でした。

先に言っておきますが、これから書く僕の感想には、この菊地氏による評論と類似する、或いは重なる部分が多分に含まれます。*3それは、菊地氏の見解に影響を受けた、というよりは、実際に本作を見た時に、率直に菊地氏に大きく共感・共鳴し、有り体に言えば「全くもって仰る通り」という思いに至ったからであります。ちなみに、念のため言及しておくならば、僕は菊地氏の熱心なファン・信奉者・フォロワー*4ではありません。

ということで、先に菊地氏による評を置いておきます。

ええ、そう、言い忘れていましたが、この評論、一万六千字もあります。また、多少のネタバレを含んでいます。そのため、当サイトを訪れた人すべてに今、この菊地氏の評を読んでいただくのも難しいと思われる*5ので、この評論中に登場する、"NGとして配給会社から突っ返された" "菊地成孔さんがオファーを受けて書いた、マスコミ試写用の解説"*6が、ネタバレもなく、そして非常に的を射たものになっているため、以下に引用します(なお、この評論に際して、この解説文に菊地氏による若干の追記がされたのですが、これに関しては、スリム化のために一旦削除してあります)。

 <ハラスメント漫画>の題材にされた<ビッグバンドジャズ>の凋落ぶり

  21世紀に入ってから10年 以上が経過し、ひと区切りついた。といった事なのでしょうか、「20世紀の偉人」を映画化する動きが非常に盛んになり、<資料映像満載の、驚くべきドキュ メンタリー映画>と言わず、<特殊メイクのように本人そっくりに役作りした俳優による伝記映画>と言わず、多数の名作、佳作が製作されました。

 特に、20世紀は「ポップ・ミュージックの世紀」でもあり、題材に事欠かず、といった感じで、現在も多産され続けているポップ・ミュージシャン伝記映画(及び、オリジナル脚本だが、音楽家を扱った映画)のほとんどは非常に優れています。

 まだ記憶に新しいマイケル・ジャクソンの「THIS IS IT (09)」 のような規格外の物ばかりでなく、ビヨンセが製作総指揮を務め、伝説のチェス・レコードを描いた「キャデラック・レコード(08)」、フレンチ・ポップス の人気歌手クロード・フランソワの数奇な人生を描いた「最後のマイウエイ(12)」、ダーレン・ラヴ等、一流アーティストのコーラスガール達の人生を綴る 「バックコーラスの歌姫たち(13)」、ある種の奇人でありながら有能なプロデューサーでもあったリベラーチェの謎に満ちた人生を綴る「恋するリベラー チェ(13)」、コーエン兄弟の「インサイド・ルーウィン・デイヴィス/名もなき男の歌(13)」、イーストウッドの「ジャージー・ボーイズ(14)」、 ドキュメンタリーでもクラシックからヒップホップまで、何れ劣らぬ傑作ぞろいです。

 特に20世紀と比べて発達したの は、当時の機材や当時の録音風景、当時の演奏風景などの<時代考証>で、劇映画であろうと、まるでドキュメンタリーであるかと思うほどのリアルさは、映画 美術の、おどろくべき向上と共に、「マスメディアが発達し、多くの資料が残っていて、関係者も皆存命である、まだ15年前の前世紀」という事情による、緻 密な脚本も相まって、音楽家や音楽評論家/研究家が見ても唸らせられる水準にあり、それらの作品群に一貫して流れる「音楽は素晴らしい」というシンプルで 力強いメッセージは、如何に欧米がポップミュージックを文化遺産として敬愛し、誇っているかを示しています。後の時代は「2010年代は20世紀音楽映画 の黄金期」と記すかもしれません

 そんな中、本作の様な大変なゲテ モノが登場し、ゴールデングローブやサンダンスを始めとした多くの映画祭でフェイムとプライズを獲得した。というのは、「まあ、そろそろこういうキツいの が来るだろうな(笑)」という、うっすらした予想を遥かに覆す事実で、ジャズミュージシャンノ端くれとして、とにかく申し上げたい事は「念のため誤解なき よう。これはマンガです」という一言のみです。

 一応、ニューヨーク帰り、或は ニューヨークで活動中&就学中等々のジャズミュージシャンに「アレ観た?」と聞いてみた所、観た者のほとんどがゲラゲラ笑って椅子から落ちるか、或は憤激 するか、或はその両立でした。

 これはあくまでワタシの個人的な 意見ですが「ジャズ」が「大学の授業」として「白人」に仕切られている限り、それは二流のクラシックとして衰退の一途を辿り、「誰も知らない世界だから、 マンガにでもしてしまえ」とでも言うべきこの作品が高く評価され、誰でも笑ってみられる、カリカチュアライズされたマンガというコンセンサスが取れていれ ば良し、瓢箪から駒とはいうが、そのうち現実がマンガでなくなってしまったらどうしよう?今から英語の勉強をし、アメリカを救出に向かわなければ、、、と 焦った程です。

 実際は順番が逆で、「音楽映画は みなハートウォーミングでリスペクトに満ちている」といった状態に対し、ネット等によってイライラさせられている人類の欲求不満が、この「ファイトクラ ブ」や「フルメタル・ジャケット」(両作は崇高な文学的名作なので、マンガと比べるのは気が引けますが)のような、ヴァイオレンスやハラスメントによって 駆動する物語を大いに萌えさせたのかも知れません。

 何れにせよそれが、「ジャズ/大学/白人」の映画であった事にゲンナリしながら(「Glee」 の悪意版とも言えるでしょう)、主人公の2人には1ミリも移入出来ませんでしたし、流れる音楽も今ひとつ、ガキのドラムはリズムを愚弄するかの如き、戯画 的な大暴れのみ、しかし映画としては駄菓子の様に味が濃いので、ついつい引き込まれてしまう。といった、非常にタチの悪い、現代的な魅力があります。

 菊地成孔(ジャズ・ミュージシャン/文筆家)

と、既にこれだけでも十分長いですね。まぁ、そりゃあ、ボツになるでしょうよ、と言いたくなるような酷評でありますが(笑)、これでも本人によれば、"これだってものすげー頑張って書いた"とのことで、確かに評論の本文と比べれば、かなり抑えられています。ちなみにこれ、映画を見たあとの僕からすれば爆笑モノ、そして評論本文に関して言えば大爆笑モノであります。ぜひ読んで、また映画を見てからまた読んで、爆笑を共有していただきたいものです。

ということで、ここまでの時点で、引用部含めて既に4000字超ですが、僕自身の感想というのは、ほぼ未だ書いていない状態ですね。では改めてこれから映画「セッション(原題:Whiplash)」に関しての僕の感想を、なるべくポイントを絞って書いていこうと思います。

今"ほぼ"としたのは、一文だけ感想を述べたからです。繰り返しになりますがそれは、

これは、酷くタチの悪いクソ映画である

ということです。

では何故、そんな感想を持ったのか。考えましたが、現時点では理由は以下の三点に集約されると思っています。

  1. ネタ映画、スポ根モノ、或いはギャグマンガとしても、中途半端である

  2. ジャズが、否、それ以前に音楽が、そしてそれらへの愛が、物語中に存在していない

  3. そして、結果としてこの映画は、ジャズを貶め、虐げている


【1】
まず 1. についてですが、これはある意味で問題の本質ではないのかもしれません。というのも、僕は当初この作品について知った時に、鬼教師の狂気であったり、そのシゴキの壮絶さであったり、というものが、多少エンターテインメント的に見られるのではないか、という期待がありました。言ってしまえば「そんなん流石にありえねーだろ(笑)」と指をさして笑うような楽しみです。

しかしその予想は、完全にではなく中途半端に裏切られることとなりました。鬼教師に関しては、現実にも存在しうる「言い過ぎな人」「やり過ぎな人」程度の感じで、有り得るハラスメントです。むしろその生徒である主人公の方が気が狂っている感じがありますが、しかしその狂う原因となる(そう描かれている)鬼教師がそこまででもないので、主人公が狂ったことがなんだか浮いてしまい、しかも狂う方向性が明らかに間違っており、僕には彼が「勝手におかしくなったやり過ぎのバカ」に映ってしまいました。

そして、この「ネタ映画」としての面はこの作品にとって唯一の救いとなるはずだったのです。後述する理由により、この作品には他に落とし所がなく、この点において振り切れて「ネタ映画」になっていれば、B級映画的にまだこの作品を愛することが出来たのに、と思うのです。

【2】
次に 2. についてですが、これは致命的です。本作はジャズを主題に扱った作品にも関わらず、ジャズのカッコよさであったり、精神性であったり、といったものが、全くと言っていいほど描かれていません。そして、ジャズとしてに限らず、音楽として単純にクオリティが低い上に、音楽というものの素晴らしさが全く伝わってこないのです。

これに関しては、最早わざとなんではないか?と邪推してしまうほどに、音楽・ジャズへの作り手側の愛が全く感じられないのです。

蛇足かもしれませんが、僕がいま視聴している今期放送中のアニメに「響け!ユーフォニアム」という作品があります。この作品はとても面白いのですが、面白いかどうかは置いておいたとして、どう考えてもこの「響け!ユーフォニアム」の方が「セッション」よりも遥かに、音楽への愛が感じられますし、音楽の感動が描かれていますし、「音楽」しています。というか、それらがほとんど全く描かれないという方が音楽映画として異常なのだと思いますが。

【3】
最後に 3. ですが、これがこの映画の"タチの悪い"部分であり、僕が怒りを感じた部分であり、恐らく菊地氏が怒りを感じた部分とも重なってくると思います。

本作において、ジャズはマイノリティ文化、一般に理解されないもの、として描かれます。これは、現実においてもそうであり、ジャズ経験者は痛感している部分であると思います。しかし 1. で述べた、中途半端にリアルなハラスメント描写によってジャズ(に限りませんが)の恐ろしいイメージを与えつつ、しかし 2. で述べたようにその素晴らしさは描かれていないのです。

つまり、世の中一般の人間の多く≒本作を見る人間の多く*7が、ジャズに普段から慣れ親しみのないジャズに無理解の人間であるということについて作り手は自覚的でありながらも、そのジャズを、歪曲され且つ本質不在且つクオリティも低い状態で、観衆に伝えているということなのです。

そして、先述の通り、実際にこの映画は絶賛の嵐で、大変に評価されているわけです。みんな見てるわけです。見て、カッコイイ!とか素晴らしい!とか圧巻の演奏!とか感動!とか言っているわけです。

とにかく申し上げたい事は「念のため誤解なき よう。これはマンガです」という一言のみです。

再び菊地氏を引用しましたが、本当にこの通りで、この"マンガ"はレトリックとしてのそれと捉えるのが適切*8だと思いますが、とにかく「こんなんがジャズじゃねーから!」ということを僕も吹聴して回りたいくらいなのです。しかし、時既に遅し且つもう相手は強大であり、到底かなわないようなモンスタームービーとなっているのです。今回の感想を書くためにあらすじをもう一度おさらいしようと思い、インターネット上で他の方々の感想を色々と見ましたが、大絶賛のそれらを見る度に暗澹たる気持ちになっていき、これが地獄かと絶望していきました。

即ち、ハラスメントを描いたこの映画「セッション(原題:Whiplash)」は、それそのものがジャズというマイノリティ・弱者に対するハラスメントになっていて、しかもそれが自覚的に、確信犯(誤用*9)的に行われている、ということが、"酷くタチの悪いクソ映画"である由縁です。

以上三点が、僕が本作に下した評価の理由です。細かく挙げればキリがないのですが、もっとも重要であると思われる点に絞って、述べさせていただきました。

では、この作品を見るべきかどうなのか、ということですが、これはジャズへの理解度高低によって、分けたいところです。

まずジャズを知っている方には、これはぜひ見ていただきたいと思います。これは、僕がこの感想・感情を共有したいという個人的な理由もありますが、同時に、見た上で怒りやら酷評やら何やらをまき散らしていただきたいのです。勿論、「いや、でも自分は素晴らしい映画だと思った」「言うほど悪くないんじゃないか」等々のポジティブな意見もあってしかるべきだとは思いますが、兎にも角にも、見て感想を共有(世間に対して、また是非僕に対しても)していただきたいと思います。

翻って、ジャズを知らない方には、正直あまりオススメできません。しかし、勿論止めはしません。映像や、助演男優賞を取った鬼教師役J・K・シモンズの演技など、素晴らしい部分もあり、全ての部分部分に"クソ"の烙印を押す気は全くないのです。しかし、もし見るのであれば、帰りについでにジャズのライブでも見ていって下さい。この際なんでもいいです。映画館またはご自宅のお近くのジャズクラブへ、ふらっと立ち寄ってみてください。普段ご覧になることがなければ、そのミュージックチャージの安さに驚かれるかもしれません。ビッグバンドジャズとは違いますが、そしてその時どなたが演奏されるかも分かりませんが、およそほぼ間違いなく本作「セッション」よりはジャズに近づくことが出来ると思います。

というわけで、(一旦)これにて、僕の 映画「セッション(原題:Whiplash)」に対する感想を終わりとしたいと思います。繰り返しますが、ジャズを知っている方は、大変恐縮ですが是非この酷くタチの悪いクソ映画を劇場で見て、大変お手数ですが是非その感想をアウトプットして下さい。あなたの中のジャズ愛に免じて。

(C)2013 WHIPLASH, LLC All Rights Reserved

*1:当初の予定では、第一部は、ネタバレ要素は無く、第二部では本編の内容に若干触れ、第三部に関しては物語の核心にも触れる、というような予定でした。 どこまで読むべきかは読み手の持つジャズリテラシーによって異なってくる、というような構成案でしたが、まぁこのレビューに限らず、本作は"酷くタチの悪 いクソ映画"なのでネタバレ含めて読んでも全然いいんじゃないか、というのが僕の立場です

*2:ジャズ・ミュージシャン、文筆家、音楽講師など、その他様々な肩書を持つ。ワーカホリックであるとのことで、その仕事の幅は広く、量もすさまじい模様

*3:この記述は、感想の本文を書く前に既にタイピングしているわけですが、今この時点でそれが明らかであろうと思うからです

*4:熱心かどうかは定かではないですが、リスナーではあります

*5:とは言え、先にも少し触れたように、この映画に関して言えば個人的には、ネタバレを含むこの評論を読んだ上で映画を見ても、何ら問題ないと思っており、むしろその方が「楽しめる」とも思っており、さらに言えば読むことによって視聴意欲もかき立てられ、そして実際に僕はそれを行っています。まぁしかし、そのために先入観が出来た上で映画を見てアンフェアな感想を持つに至ったのではないか、などという批判は、原理的に僕からは否定不可能なものでありますが、無意味であると知りつつもここではそれを強く否定しておきたいと思います

*6:両文ともに上記サイトからの引用

*7:ジャズが本作における明確な主題であるだけに、視聴層にもある程度のバイアスがかかることは予想されますが、ここまで映画祭を賑わせて注目も集めた作品になってしまっては、やはりnearly equalと言っていいでしょう

*8:ちなみに書き方的にまずかったらしく、全国の漫画ファンの怒りを買い、菊地氏は後に謝罪しています・・・。ちなみに最近僕も、さそうあきらの「マエストロ!」という音楽漫画を読み、それが素晴らしかった―ああ、「セッション」と比べると音楽を扱った作品として、月とスッポンくらいの差がある―ため、この表現には若干の反感を覚えますが、さておき

*9:確信犯の本来の意味は、”道徳的、宗教的または政治的信念に基づき、本人が悪いことでないと確信してなされる犯罪。” ですが、そこから転じて用いられる”悪いことだとわかっていながら行われた犯罪や行為” という意味でここでは用います(ともにデジタル大辞泉より)