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文を書くということ

駄文

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はてなブログというものを始めてみることとした。

思い返してみれば、僕は中学生の時分から自分の*1ホームページを持っていた。当時はMTG*2についてのWebサイトを立ち上げ、htmlについてかじりながら、掲示板やチャットを搭載しつつ、考察記事、コラム(!)などを書いていたものだった。

今の時代であれば、中学生でWebサイトやブログを運営するなどということは、特段珍しくもないのだろうが、2001年*3当時で考えれば、割とマイノリティであったろう。考えてみれば、小学校3,4年の頃から毎朝小学校へ行く前の日課として、チャットで徹夜明けの若者と雑談をしていたり、Vector*4フリーソフトのゲームをダウンロードして遊んでいたりと、なかなかのPC大好きっ子だったと言える。

しかし、10年ほど経った現在、この時代の中にあって、僕はコードの一つも打てず、Webサイトはおろかブログの一つも持っていない。ギークやオタクになり損なった、リッパなニワカ*5者となってしまった。

そして僕は、他の事柄に関してもニワカである。音楽を聴くのも好きだし、演奏するのも好きだし、映画もアニメも好きだし、旅も好きだし、自転車も好きだし、 酒も好きだし、本はマンガも哲学書も雑誌も新書も文庫もビジネス書も料理本も好き(だし他にも色々好きなモノはある)だけど、そのどれをとってもニワカの粋を出ない。コレに関してはプロフェッショナル、あるいはそれに比肩する、ないしそれに発展できる知識・経験・技術がある、などというものは(少なくとも 今は)一つもない。

では僕に限らず、そんなニワカ者は語る言葉を持たないのか、口を閉ざすべきなのか。今の時代にあって、僕は、そうではないと思う。

この「Google社会」にあって、僕たちは誰でも好きなときにどんな情報にでも触れることが出来る。世界最高の知に、指先を動かすだけでアクセスすることが出来る。しかし、逆説的に言えば、当然のことならばその指先さえ動かさなければ、つまり知ろうとさえしなければ、何も知ることはないとも言える。だから こそ僕は、今ことさら「興味がある」というのは財産でありエネルギーであり非常に価値のあることである、ということが強調されるべきであると思う。ある人 がなにか複数のことに対して抱いた「興味のブレンド」は、その人の「色」を持ちうるのではないか。それを基に、知識・経験を集め、それを統合・普遍化して醸成した考えというのは、その人の「声」あるいは「歌」となりうるのではないか。

そして、それを発信することは意味を持ちうるのではないか、と僕は思う。

この「ページ」は、そんな、ニワカ者である僕の一つの試みでありながら、このSNS時代にあって一種の回帰でもある。僕はこの「ページ」をブログとしてというより、「ホームページ」としてやっていきたい。実は過去に二つほどブログを運営し、続かないで潰した経験があり、"もうブログなんてしないなんて" *6思っていた僕だが、やはり自分の中に文を書くということへの欲求・要請があり、なにより、好きなんだろうと思う。

当然、「文を書くということ」においてもニワカ者の僕ですが、面白いと思ってくれる人がいれば幸いです。

*1:ダジャレかと思った人は廊下に 立っているべきである

*2:Magic:The Gatheringの略称。世界初のトレーディングカードゲームであり、今も世界中でプレイされ続けているTCGの最高峰。僕は主に小学生から中学生にかけて熱中していた

*3:恐らく。うろ覚えである。世間的に言えば21世紀の始まりであり、なにより9.11のあった年ということで印象的

*4:オンラインのソフトウェア流通サイト。当時はアプリのダウンロードといえばVectorであった。その頃は少なくとも日本では GoogleよりもYahoo!の方が主流であったので、Yahoo!でアプリを検索し、出てきたリンクをクリックするとVectorに飛ばされる、という流れで利用していたように思う

*5:この語本来の意味は 
1.物事が急に起こるさま。突然。
2.病気が急変するさま。
3.一時的であるさま。かりそめであるさま。(デジタル大辞泉より) 
であるとのことだが、ここではあえて近年よく用いられる「その分野における知識が浅い」という意味で用いる

*6:古いとか言われる、というか言われもしないんだろうか