2017都議選/藤井四段VS佐々木五段

掲題の通り、今夜は都議会議員選挙と、竜王戦決勝トーナメントの第二戦、藤井聡太四段と佐々木勇気五段の対局が行われていました。それらをTVの報道番組では、今夜は二つの大勝負、と紹介していて、どうにもこじつけ的でありながらも成程と思わされ、結果としてもなかなか対照的で面白いように思われました。

都議選に関しては、これを書いている時点でまだちゃんと結果が出てはいないのですが、どうやら、都民ファーストの会の圧勝、自民党の歴史的大敗という結果に終わりそうです。

一方で、プロデビュー以降29連勝の快進撃を続けていた中学生棋士・藤井四段は、佐々木五段にその連勝を止められ、初の黒星という結果になりました。

なんというか個人的には、都議選については予想通りと言えばざっくり予想通りだったわけですが、予想よりも非常に極端な結果であったことは否めません。それは、なんだかんだ言っても自民党は根強い支持層を持っている、というような漠然としたイメージが僕の中にあったためなのですが、しかしながらこのところの情勢を見る限りは、自民党は不祥事等のネガティブ要素が山盛り、反面で支持を集められるような要素は皆無、であったのは確かです。

では将棋、藤井四段と佐々木五段の対局に関しては、正直、藤井四段が連勝を継続するのでは、と思っていました。デビュー以来29戦全勝という「ノリにノッている」藤井四段の勢いは、対する佐々木五段が如何に若く勢いと実力を併せ持つ棋士であっても、なかなか止めることはかなわないのではないか、と思ったためです。だからこそ、事前に藤井四段の対局を直に観戦しに行ってその空気を吸っておいたりなど、完全なるこの「藤井フィーバー」の雰囲気に飲まれないように、対策と覚悟を固めて臨んだであろう佐々木五段の、その精神力には感服してしまうところです。「イケメン棋士」なんて軟派な呼び名を目にしますが、そういうことでなく、今回の勝利は本当にカッコイイ、「アツイ」なぁと思います。

さて、この二つの「大勝負」、かたや流れが更に加速したような、かたや流れが断ち切られるような、そんな対照的な結果と言えるでしょう。そもそも、当然ながら勝負としての性質が大きく異なっていて、選挙というものが世論を政治に反映するために行われるものであるのに対し、将棋は世間とは本来全く無関係な盤面における二人のプレイヤーの純粋な一騎打ちであります。とは言え、「世論」というものは掴みどころがなく、また投票に行く集団にもバイアスがかかっているため、世の流れ通りと言っても一筋縄には行かないのが選挙であり、他方で将棋においても、本来世間と無関係であるはずの盤面に駒を指すのはあくまで人間ですから、世間の風潮と全く無関係というわけにもいかないわけです。

この流れや風潮といったものを「物語」と置き換えてみると、「物語」の単純化が行われた選挙結果と、そうそう紋切り型の「物語」通りには行かなかった対局結果と、そう言いかえられるでしょうか。僕が、自分が住んでいる自治体の政治の行方に横目で覚めた視線をやりながら、分かりもしない将棋の盤面に視線を引きつけられてしまうのは、「物語」としての魅力を、後者の方により強く感じてしまうから、なのかもしれません。どちらも厳しい世界なのでしょうが、僕はどうにも、将棋にこそ、より極限的で張り詰めた、シビアで逃げどころのない勝負の世界を思い描き、現実に重ねてしまうのです。それは、僕の一つの憧れの投影なのかもしれません。

多様化の一方でマクロな単純化がなされていく「社会」と、普遍的な一方でミクロな複雑化がなされていく「文化」と、なんて、詐欺まがいの書き方ですが、やはり僕は「文化」の物語の行方にこそ、心を動かされてしまう、そんなことを体験した夜でした。

「説明」という幻想、復讐の現代的形態

「説明責任」という言葉をよく聞くようになったのは、なんだかんだここ数年のような気がするのですが、どうにも僕には、この「説明」というものに過度な期待や、なにか、無き望みをかけているような風潮があるように見えるのです。

「納得行く説明」を求める声は、いま非常に多くの場面において聞かれます。それはつまり、当然ながら納得できていない状況にあるということで、そういう中には、むしろ何らかの不条理、憂き目、心なき者からの被害に遭ったような人達もいるであろうと思われ、そういう人達を責めるべきではないと思うのですが、その「説明」は恐らく幻想であって、それを求められている側の人間がどれだけ言葉を尽くしたところで、満たされることのない要求であるように思うのです。

例えば、政治において野党が与党の何らかの不祥事等に対して、「説明」をしろと追求するのは、これは攻撃の戦略としてあるものですから、別にこれは加害者・被害者という構造ではありません。しかしそうでない場合――具体的な事件・事案を挙げることは避けますが――、害を被っている人々は、そのどうしようもない状況を、「説明」という言葉によって、或いはそれを待つということによって、自分自身の感情をなんとか抑えている、そんな風にも見えます。

これは、なんとなく「復讐」の構造に似ている、なんなら、一つの復讐の形態なのではないか、とさえ思います。「復讐は空しい」なんて言われつくされた常套句もありますが、しかし人間が復讐に走る、或いは復讐劇というものに人間がどこか言いようのない痛快さを覚える、というのは、復讐によって何かが得られたり改善したりするのではなく、またそれらに期待しているのではなく、ただ単純に、復讐をせざるを得ない、そうしなければ収まりがつかない、損得勘定や理性を超えた、ひたすらに純粋な情動として復讐があるから、であると思います。

「説明」を求める、なんて言うと、なんだか冷静で論理的な印象を受けますが、その内実には、そういうもっと生々しい感情が渦巻いているように思えます。言い逃れのできない、単純に相手に非があるような状況で、「納得の行く説明を」と迫る。加害者は、たとえそれに対し誠意を持っていたとしても、そして誠意ある対応・回答をしたとしても、被害者は「なるほど、そういうことだったのか」と納得するはずなんてないため、再度「説明を」と迫る。このサイクルは、現代における復讐の形態と言えるのかもしれません。

本日の酒:天吹 純米大吟醸 さけ武蔵

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イオンリカーにて商品入れ替えのためのセール価格で、なんと税込1,300円だったため思わず購入してしまいました。佐賀の天吹酒造は、一度蔵見学させていただいたことがあったので、それもあり。花酵母を利用した酒造りが有名で、文字通りというべきか、華やかな印象の日本酒を作る蔵です。ちなみに、お店には広島の宝寿という日本酒もありました(こちらは初めて聞いた名前)。

こちら、イオンとの共同開発の日本酒とのこと。なんでも、埼玉のご当地酒造好適米の「さけ武蔵」をイオンの農場で育てるところからはじまり、醸造については各蔵に委託したとのこと。

しかし、実はこれ発売は昨年の6月のものです。元々、同年3月にしぼりたてとして発売された日本酒を熟成させて出荷した酒なのですが、それから更に一年間経っていることになります。まぁ生酒ではないですし、一応イオン「リカー」ですから、そう劣悪な管理もされていないであろうとは思い、購入に至りました。

さて、グラスに入れてみると、3ヶ月とは言え熟成酒らしくほんのり黄色く色づいています。しかし、やはり純米大吟醸らしく、また天吹らしく、注いだだけでも感じられるほどに香りはとても華やかです。甘酸っぱさを感じつつも、熟成酒的な低音域と米のふくよかさ、麹感があります。全体通してなかなかユニークなキャラクターです。唯一、飲み終わったあと、舌に少しながら嫌な味が、割と長くしつこく残っているように感じられ、そこが残念といえば残念です。が、まぁ、大きな欠点というレベルでの雑味ではありません。

特段、悪くなっている印象もありませんし、これが1,300円はやはり安いでしょう。買いです買い。イオンリカー全店でやっているかは分かりませんが、お近くにイオンリカーがある方は覗いてみるといいかもしれません。