国語と算数のできない大人は本当に意味が分からない

僕は個別指導の学習塾でバイト講師をしてるのですが、子供というのは本当にすごい、なんて言うと月並みな感じですが、少し前までは一つもやる気がなくて同学年の子と比べて明らかに幼い、ちょっとした問題児みたいな小学生が、見違えるほどとまでは言わずとも、いつの間にか好奇心やら向学心やらが芽生えていて自然に勉強に取り組むようになっている、そんなのを目の当たりにしたりすると、人間の学習や成長とは本当に素晴らしい、なんなら少し怖いくらいのものだな、と思ってしまいます。

しかしそんな一方で、いい大人なのに国語やら算数やらができない人と出くわしたりすると、いや正確には、そんな人の「国語・算数できなさ」に直面すると、なんだか苛立ちを覚えてしまいます。もちろん、お勉強的な意味での国語・算数自体ができなくてもいい、言い換えれば国語・算数の問題を解くためのスキルがなくてもいいのですが、国語・算数を学ぶ過程で培われるような、論理感覚とでも言うのでしょうか、そういったコミュニケーションの素地になるものを持っていない人というのは、思っているよりも平気で居て、遭遇するともらい事故のように不快な思いをさせられたり、不利益を被ることになります。しかも大抵、そういう人って無自覚で悪意がなかったりしますし、更に、なにしろコミュニケーションが満足に取れないのでたとえ本人に伝えてものれんに腕押しというやつで、彼または彼女がそのまま大人になってしまった所以を思い知らされることになります。本当に対処不能、歩く理不尽みたいなものです。

例えば自動車のもらい事故というのは、遭うときは遭ってしまうものですが、なるべく確率的に遭いにくいようにする、という努力の仕方もあります。

クルマの危険回避術!もらい事故を防ぐテクニックと事故後の正しい対応:カーピックス

まとめると“もらい事故”にあわない人は、周りに気を配りいち早く危険を察知し、自分が次にどう動くかを周りへ伝えるコミュニケーションが上手い人だと言えるでしょう。

結局この件についても通ずるものがありそうです。加えて、事故に遭いにくい環境を選んで身を置く、というのが妥当な対策であろうと思われ、一抹の寂しさを覚えますが、止む方なしとするべきかもしれません。

物語媒体としてのゲーム

別に僕はゲームに関してオタクというほどでもないので、特別に詳しいというわけでもないし、超マニアックでもないのですが、なにか少しひねってあるゲームが好きで、知人等と、子供の頃にやったゲームの話をすると、如何に自分が王道的ゲームを通ってこなかったかを実感してしまいます。

さて、掲題の観点で、いくつか紹介してみます。

『ウェルトオブ・イストリア』(PS/99年/ハドソン/アーカイブス配信中)

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©1999 HUDSON SOFT

いきなりマイナー。当時としては割と革新的(?)なフリーシナリオRPG。身長・体重・髪色・髪型等のキャラメイクから始まり、特に目的を与えられない状態で、箱庭的世界を自由に冒険することを楽しむゲームです。シナリオピースと呼ばれる小さな物語単位が100種類以上あり、冒険の中で出会うそれらが組み合わさって自分だけの物語が作られていきます。エンディングも魔王を倒すといった王道ルートから、世界情勢とは全く無関係な『結婚』というものまで。PSのゲームとしてはとにかく自由です。世界観はオーソドックスな中世ファンタジー的で、敵もゴブリンやらオークやらお馴染みの面々。

今ではTVゲームでもこういったゲームは珍しくないのですが、当時、PCゲームに親しんでこなかった*1僕にとってはかなりの衝撃でした。周囲でも僕以外にこのゲームを知っている友達はいなかったため、一体どういう経緯でこんなマイナーなゲームを手にしたのかは未だに謎なのですが、全シナリオピース制覇は当たり前、制限プレイなども含めてかなりやり尽くしました。

ブレス・オブ・ファイアⅤ ドラゴン・クォーター』(PS2/02年/カプコン/アーカイブス配信中)

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©CAPCOM Co., Ltd. 2002

これは中学生の頃に友人に勧められて。ブレスシリーズはこれしかやったことがないのですが、ブレスシリーズではかなり異色とされているRPGです。

確かに、かなりクセのあるゲームシステムではあります。そもそものゲーム難度が高く、ボス戦は勿論のこと、その辺の敵との戦闘でも全滅しかける、という一方で、主人公限定のD-ダイヴというコマンドを選択するとラスボスであっても楽勝、というアンビバレンス。勿論、D-ダイヴには大きな代償が伴います。

画面右上には主人公のDカウンターという値が常に表示されていて、0.00%から始まり、時間経過とともに0.01%ずつ上昇していくのですが、これが100%になるとゲームオーバーです。とは言え、時間切れでカウンターが100%に達することは稀ですが、D-ダイヴの代償というのがコレで、D-ダイヴを使用するとカウンターは大きく上昇します。当然、初めてプレイしているときはあと何時間でクリアになるのかなんて分からないので、常に時間に怯えながら、そして今後どれほど強力な敵が登場するのか怯えながら、プレイすることになります。通常こういうときの対策はマメにセーブすること、セーブデータを複数用意しておくこと、だと思いますが、バイオハザードと同様にセーブにはアイテム消費が必要なため回数は有限、そしてセーブデータは一つしか持つことができないので、それら対策は封じられています。プレイヤーは常にその緊張感の中でプレイしなければなりません。

また、そもそもRPGにギヴアップというメニューが用意されているのがおかしいのですが、そのギヴアップであったり、ゲームオーバーの際には3つの選択肢が提示されます。要約すると「普通にゲームオーバー」するか、「最後のセーブ地点からやり直す」か、「一番最初からやり直す」か、です。どういうことかというと、この「やり直し」の際には、装備やスキルなどの一部のデータを引き継ぐことができ、そのことによってゲームを有利に進めることができるのです。また、それを行うことによって、これまで見られなかったイベントが見られたり、ということもあります。

世界観は非常に閉塞的です。人類は汚染された地上を捨て、地下世界に暮らしています。地下世界の生活があまりにも長過ぎたため、「地上」や「空」というものが本当に存在するのかどうかさえ、人々は疑わしく思っている、というような設定です。また地下に行けば行くほど空気が汚く、低所得者や身分の低いものは、物理的にも低い位置に居住しなければならず、更に、生まれた際にD値という先天的潜在能力が計測されて分数で表されますが、これもやはり値が小さければ身分・収入も低くなり、空気の汚い下層での生活を余儀なくされるという、超分かりやすいヒエラルキー。そして優秀な資質を持つパートナーのD値が1/64であるのに対して、主人公のD値は1/8192。下層区街の子どもが「僕のD値は低いから、あんまりいい仕事つけないんだってー、たったの1/4096」みたいなこと言っててプレイヤーはみんな絶望します。ちなみに、周回プレイをすることで成績によってこのD値も、最大で1/4(つまりドラゴン・クォーター)まで向上し、向上することによってこれまで入れなかった扉に入れるようになったりもします。

つまり、あらゆるシステムが、繰り返しのプレイをプレイヤーに要求している、というか繰り返しのプレイが前提として組み込まれているゲームなのです。

『ニーア・レプリカント』(PS3/10年/スクウェア・エニックス

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©2010 SQUARE ENIX Co., Ltd

今年2月に続編『ニーア・オートマタ』(PS4)が発売されたゲームの前身であり、『ドラッグ・オン・ドラグーン』(PS2)の続編。非常に練り込まれていて複雑な世界観や物語*2も本作の大きな魅力ですが、今回の焦点はそこでなく、ブレス5と同様に、本作でも周回プレイが前提として組み込まれている点です。最終的に四周することになります。一周すれば衝撃的な事実を知らされ、二周目以降はその前提で後半の物語を、少し違った視点で見せられ*3、武器コンプリートなどの条件をクリアしつつ、最終的に四周目の最後のエンディングを迎えるのですが、この最後のエンディングこそがこのゲームの凄まじいところで、「ヒロインを救うために主人公の存在が全くなかったことになり、それに伴って四周分のセーブデータをまるごと消去させられ」ます(ネタバレのため一応伏せ字)。これは、ゲームだからこそできる一種の究極の表現であるように思います。

ちなみに、音楽のクオリティがいちいち高くて、今こうして書いているときに公式サイトからBGM流れてきて、それ聴いてるだけでも色々と思い出して大分辛いです。今回、本作には文字数あんまり割いてないですが、その特殊な構造を度外視しても全体的にこのゲームは物語的攻撃力高いです。

物語媒体としてのゲーム

 そもそも、ゲームという娯楽に物語というものが与えられてから、その物語は単なる文字情報が持つそれを超えた、ゲームだからこそ得られる物語体験を持つようになったはずです。プレイヤーたちが思考や努力、見ようによっては一種の労働であるような作業を重ね、多くの時間をかけて、やっと辿り着いた物語の結末というものは、書籍や映像などから得られるそれとは異なるはずで、それは読者や視聴者といった純然たる受容者と「プレイヤー」という立場の差に起因するところが大きいはずです。しかしゲームの本分はゲームである……とすべきなのかどうかは長く議論されているところとは思いますが、その一方で、物語媒体としてのゲームも、発展を遂げてきたのではないかと思います。ゲームなんて時間の無駄である、なんて考えられがちであるし、僕自身そう思ってしまうこともあるのですが、そう捨てたものではないはず、本稿はそんなささやかな擁護をここで表明するものであります。

なんか全部プレステだし、どれも上の二作はアーカイブス配信中、三作目に関しては新作が出たばかり、ってっもうなんだか僕ソニーの回し者みたいですけど、全く無関係です。子供の頃、ちょっと憧れてましたけどね。。

*1:これは家庭のPCがMacだったことに起因していそうです

*2:それらはディレクターの横尾太郎の頭の中で完璧に構築されているらしく、スタッフ曰く「質問されれば即答し、矛盾を指摘されるとしっかり論破している」らしく、多分変態です

*3:という表現は、何周もさせられて辛いからではなく、物語がどんどん辛く見えるようになるからです

岡本太郎美術館に行きました

先月末のことですが、とあるオフ会で生田緑地を訪れ、川崎市岡本太郎美術館に行ってきました。

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『眼の立像』岡本太郎

僕にとって岡本太郎という人は、無意識に作品に触れていた作家で、というのは、通っていた学校の目の前にあ「った」*1こどもの城のシンボルである『こどもの樹』が青山通りに立っていたのをいつも目にしていましたし、2008年に渋谷駅に『明日への神話』が設置されてからは、毎日のようにそこを通って見ていました。もっとも、岡本太郎パブリックアート作品は東京中に(日本中に?)数多くあるようなので、彼の作品に日常から触れている人は多いでしょう。

とは言え、「ずっと惹きつけられていた」とか、「昔からの憧れだった」とか、そういうわけではなく、「ほんのちょっとだけ気になる存在」、「なんかすごそうなおじさん」くらいの距離感でいました。

ただ、今回以前に一度だけ岡本太郎の作品に積極的に触れたのは、それももう何年も前ですが、大阪にある万博公園を訪れたときでした。と言うより、これはただ『太陽の塔』を見るためだけに、訪れたのです。森見登美彦の『太陽の塔』を読んでから、一度は見に行かなければと思っていたとき、京都旅行に行った中での訪問でした。あまりに巨大なその存在感は圧倒的でありながら、どこか非現実的で異世界的で、少し目眩を起こしながら呆然と眺めていたのを思い出します。

その経験もあって、僕は岡本太郎という人を、画家というよりは彫刻というかオブジェというか、そういう「モノ」「物体」を作り出す芸術家、という風に捉えていました。そして今回、岡本太郎美術館で彼の多種多様な作品に触れたのですが、その基本的なイメージは変わらないままで、また、絵画にしろ彫刻にしろ陶芸にしろ、その作品の持つエネルギーは、やはり岡本太郎という人間の一般的イメージに違わず、迸るようなものがあるということを再確認しました。

発見だったのは、と言っても僕が知らなかっただけというか、言われてみれば腑に落ちるという感じだったのですが、岡本太郎という作家は所謂「インテリ」であり――いや、"所謂"を取ってみてもいい、相当にインテリジェントな作家であり、教養に溢れた人物であるということでした。なかでもジョルジュ・バタイユとの深い交流があったというのは驚きでした。また、多くの作品において日本の土着的・呪術的モチーフを用いて表現していたのを強く感じましたが、これも当然に意識的・意図的なものであって、西洋化された日本において埋もれていってしまったそういうものを発掘し、新しいものとして蘇らせる、ということを行っていたのではないかと思います。ここは寺山修司とも通ずるところがあるように思います。これは3月にJ・A・シーザー率いる演劇実験室 万有引力の『身毒丸』を見て、否、体感して、強く感じたものでもあります。

考えてみれば、岡本太郎も寺山と同様に、なかなかにテロリスティックなところがあります。先述のように、岡本太郎パブリックアート作品は世に数多くあり、僕がそうであるように、知らず知らずのうちにその作品に触れてしまっているわけです。また、人々の感じる違和感や嫌悪感のようなものを恐れずに投げ込んでくるようなところも、近しいものを感じます。色彩的にも二人の用いる色といえば原色の赤です*2。もっとも、そうやって抽象的に捉えていけばいくほど、市ヶ谷駐屯地でクーデターを呼びかけ割腹自殺をした三島由紀夫であったり、花園神社に紅テントを張って演劇をしていた唐十郎であったり、色々な人も含まれていってしまうわけですが、まぁ、時代なんでしょうか。どうにも60, 70年代のそういう空気に憧れてしまう僕がおります。

これも母校の至近ですが、知らなかった、或いは聞き流していたようなのですが、青山は骨董通りの一本裏には岡本太郎記念館があり、彼が亡くなるまで40年以上に渡って暮らした住居兼アトリエであった場所とのことですので、そちらも近々訪れてみようと思います。

*1:2015年に閉館となっています

*2:…と、勝手に思っていたのですが、寺山の色は赤であるという認識は、別に一般的なものでもないようで…。『身毒丸』のイメージが鮮烈だったので、それに囚われすぎているのかもしれませんが、個人的には寺山といえば赤です